すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、
わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。 聖書(マタイ・11:28~)
ある夜、私は夢を見た。
私は小高い丘に立ち、これまで歩んで来た
人生の砂丘を振り返って眺めていた。
永遠と刻まれた自分の足跡と並んでもう一組の足跡がついていた。
それは、
「わたしは決してあなたを離れない」と
約束して下さった主ご自身のものだった。
しかし、足跡はところどころ一組しか無かった。
それは、私が最もつらく、苦しかった時、悲しみのどん底にあった時だった。
私は驚いて主に尋ねた。
「私があなたを最も必要としていた時、どうして私を見離されたのですか?」
主は答えられた。
「愛する我が子よ、わたしは一度もあなたから離れたことはない。
あなたが試みに会って苦しんでいた時、そこに一組の足跡しか見えないのは、
わたしが、あなたを背負って歩いたからだ。」
大事を成そうとして、力を与えて欲しいと
神に求めたのに、
慎み深く従順であるようにと、弱さを授かった。
より偉大な事が出来るように健康を求めたのに、
より良き事が出来るようにと、
病弱を授かった。
幸せになろうとして、富を求めたのに、
賢明であるようにと、
貧困を授かった。
世の人々の賞賛を得ようとして、権力を求めたのに、
神の前にひざまずくようにと、
弱さを授かった。
人生を享楽しようと、あらゆる物を求めたのに、
あらゆる事を喜べるようにと、
命を授かった。
求めた物は、1つとして与えられなかったが、
願いは全て、聞き届けられた。
神の意に沿わぬ者で、あるにもかかわらず、
心の中の言い表わせない祈りは、すべて叶えられた。
私はあらゆる人の中で、最も豊かに祝福されたのだ。
この世の最上のわざは何?
楽しい心で年をとり、働きたいけれども休み、
しゃべりたいけれども黙り、失望しそうなときに希望し、
従順に、平静に、おのれの十字架をになう--。
若者が元気いっぱいで神の道をあゆむのを見ても、ねたまず、
人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり、
弱って、もはや人のために役だたずとも、親切で柔和であること--。
老いの重荷は神の賜物。
古びた心に、これで最後のみがきをかける。 まことのふるさとへ行くために--。
おのれをこの世につなぐくさりを、少しづつはずしていくのは、真にえらい仕事--。
こうして何もできなくなれば、それをけんそんに承諾するのだ。
神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。 それは祈りだ--。
手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。
愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために--。
すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう。
「来たれ、わが友よ。われなんじを見捨てじ」と--。